2022/令和4年
1210日 (

コラム 【ナッジ入門編1】ナッジとは何か 2021/09/30 12:00

特定非営利活動法人PolicyGarage事務局 長澤美波

PolicyGarage事務局 長澤氏

 ここ数年、ナッジという言葉がさまざまな場面で聞かれるようになってきました。

 ナッジ(nudge)とは「人々の選択肢を奪うことなく、環境を整えることで、本人や社会にとって望ましい行動をするようにそっと後押しする手法」と定義されています。ノーベル経済学賞を受賞した米国の行動経済学者リチャード・セイラー氏らが提唱しました。

 ナッジの説明では、英国ロンドンで、吸い殻入れに「世界一のサッカー選手は?ロナウド?メッシ?」と書き、吸い殻で投票できるようにしたところ、26%ポイ捨てが減ったという事例がよく紹介されます。そのほかにも、ごみの不法投棄が問題になっている場所に鳥居や目のマークを付けたり、読んでほしい通知に手書きのメッセージを付けたりと、さまざまな実践例が報告されています。ナッジに取り組んでみたいけれど、活用されている場面や手法が異なっているため、何をすればナッジをしたことになるのかが分からない人が多いのではないでしょうか。

◇幅広い適用分野

 ナッジ理論が前提としているのは、「ありのままの人間像」です。人間は、常に合理的で最適な行動を取れるわけではありません。ダイエットを始めようと決意しても、始めるのは明日からと先延ばししたり、保険料や携帯電話のプランを見直した方が得だと分かっていながらも行動に移さなかったりします。そうした合理的でない行動は、人間の思考の癖(認知バイアス)によるということが、多数の心理学実験などで分かってきています。人間の思考には認知バイアスがあることを理解し、本来したい行動や望ましい行動を認知バイアスが邪魔しないようにしたり、認知バイアスを利用して行動を取りやすくしたりできるように環境を整えるのがナッジです。逆に言えば、行動を阻害する認知バイアスを減らす取り組みや行動を促進する認知バイアスを強化する取り組みであれば、さまざまな場面で活用できます。適用できる分野も幅広く、私が所属する横浜市行動デザインチームに相談があっただけでも、環境(省エネ、リサイクル)、納税、健康、福祉、防災など多岐にわたっています。

 大切なのは、「人々の選択肢を奪わない」という点です。禁煙を推進したいとき、たばこ税を上げて高額にする、販売禁止にするなどの対策が考えられますが、これらは、たばこを買いたい人は買うことができるという選択肢を奪うため、ナッジとは言えません。この課題にナッジで取り組むとしたら、購入プロセスを煩雑にする、パッケージのデザインを魅力的でないものにするなどが考えられます。なお、「禁煙をしましょう」と啓発ポスターで呼び掛けることも選択肢を奪ってはいませんが、認知バイアスに対するアプローチが伴わなければ、ナッジではありません。啓発ポスターに喫煙者の肺の写真を入れて嫌悪感や危機感を抱かせる、たばこの煙にさらされそうな子どもの絵を入れる、「9割の人が吸っていません」など社会規範や同調効果に訴えるといったアプローチが加わればナッジです。

◇ワクワク感も

 それでは、なぜ、ナッジが政策立案の現場で広がったのでしょうか。理由は三つ考えられます。

 一つ目は、費用対効果が比較的高いことです。納税の口座振替の利用者数を増やしたい場合、勧奨通知の送付数を倍にすればその分費用が掛かりますが、通知の内容にナッジを取り入れれば追加の費用は発生しません。横浜市戸塚区の取組事例では、通知の情報を簡素化し、メリットや手続きを明確にしたナッジで申込率を倍増させました。

 二つ目は、適切なデータの集計と分析で政策の効果を検証する「EBPM」(Evidence-Based Policy Making)の考え方と親和性が高いことです。EBPMとは、限られた財源をより効果的に使うため、データや根拠に基づいて政策立案をする方法で、少子高齢化が進む日本では、今後ますます重要になっていく考え方です。課題を解決するために求められる行動変容の分析とナッジによる効果の検証は、ナッジに取り組むに当たって必須のプロセスであり、EBPMのサイクルとも重なるため、ナッジの推進はEBPMの推進につながっています。

 三つ目の、最大の理由は、ナッジは楽しいということです。日々住民と接する行政職員の経験則や暗黙知による創意工夫が、ナッジ理論による科学的根拠を得ることによって、組織的に認められ、効果も「見える化」できるようになれば、ルーティンになっていた業務へのモチベーションが上がっていきます。また、ナッジを考えるに当たって、事業に取り組んでいる職員一人ひとりの気付きがとても大切です。横浜市の特定保健指導封筒の事例では、電話で追跡調査をしていた担当者の「そもそも封筒を開けていない人が多い」という聞き取りをきっかけに、封筒に記載する文言を、損失を強調するものとするなどのナッジを入れて開封率を上げる取り組みにつながりました。ナッジの考え方、取り組みが広まれば、政策の効果が上がり、仕事にやりがいやワクワク感を感じられるようになるというのが、私自身が2年間ナッジに取り組んできた実感です。

 次回は、具体的なナッジのつくり方、注意点について解説します。(了)

◇長澤美波(ながさわ・みなみ)氏のプロフィル
2009年に横浜市に入り、税担当、災害時要援護者支援担当、地域包括ケアシステム担当などを経て現職は横浜市健康福祉局生活支援課生活困窮者支援担当係長。横浜市行動デザインチーム(YBiT)副代表や特定非営利活動法人PolicyGarage事務局も務める。19年7月からYBiTに参加し、研修講師や事例支援を担う。
PolicyGarageメンバー

PolicyGarageへのリンク
→ https://policygarage.or.jp

【ナッジ入門編】

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