インタビュー 【トップインタビュー】原発事故からの復興「まだまだ課題」=吉田淳・福島県大熊町長 2023/03/30 08:30

東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から12年が経過した。原発立地自治体で、一時は全町避難も余儀なくされた福島県大熊町の吉田淳町長(よしだ・じゅん=67)は、「やっとここまで来たなと思う一方で、まだまだ課題がある」と気を引き締める。
「この1年は大きく動いた年だった」と振り返る。町は放射線量が高く、帰還困難区域に指定されたエリアは町面積の約6割を占める。2022年6月に、区域のうち、先行して除染を進める「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)の避難指示が解除され、住民の帰還が実現。依然として町の約4割で立ち入りは制限されるが「19年の町長就任以来、帰還困難区域の解除は掲げていた目標で、一部だけでも達成できた」。
ただ、「震災前まで当たり前だったことができなくなっているのはつらい」と吐露。復興拠点内には飲食店やスーパー、医療機関などもなく、利便性が低いのが現状だ。「戻ってくる人が苦労する。最低限のものはそろえなくてはならない」と、帰還者が少ない中でも積極的に開発を進める方針だ。24年12月には、復興拠点内のJR大野駅前に産業交流施設と商業施設が完成するほか、駅前にあった県立病院の再開に向けた議論も進む。
町には、いち早く復興の拠点として整備を始めた大川原地区がある。同地区は19年の避難指示解除に伴い、復興公営住宅のほか、役場や宿泊施設、商業施設が整備され、人の流れが生まれている。「大川原も何もない田んぼだった。復興拠点の開発も難しいと感じるが、この経験を生かしてやっていけたらいい」と意気込む。
23年度には避難先の会津若松市にある義務教育校が町内に戻り教育活動を再開する。「どんな過疎地、山の中にだって学校はある。大熊にも当然あるべきだ」と強調。「帰還や移住定住を促す一つのアピールポイント。通う子供たちは大熊での記憶はないと思うので、ゆっくり町の良さを感じてもらいたい」と期待を込める。
福島原発の廃炉や町の復興は長い道のりだ。自身の自宅も帰還困難区域の中にあり、「自分で解体はできず、どうするか見通しが立たない」といった悩みも。それでも「実際に見てもらわないと理解は進まない」と、視察で訪れる大臣らに自宅を公開。町長、そして一町民として、野生動物などに荒らされた様子など現状を訴えてきた。「厳しい状況で諦めることは簡単だが、取り返しがつかない。振り返った時に、やってきたことは間違いじゃないと思えると思う」と前を向く。
〔横顔〕1979年から大熊町に入り、教育総務課長、総務課長、副町長などを歴任。19年11月から町長。大川地区の職員官舎で生活し、町の復興の歩みを肌で感じている。寒い冬と花粉の春を避けゴルフを楽しむ。
〔町の自慢〕事故後は、新産業創出やスタートアップ企業の支援拠点として「大熊インキュベーションセンター」を整備し、テレワーク環境が充実。震災前に栽培が盛んだったナシやキウイフルーツに代わり、町産のコメで仕込んだ日本酒「帰忘郷」や町産イチゴなど新たな産品が誕生している。
(了)
(2023年3月30日iJAMP配信)